終わりがあれば…


書くことはいっぱいあるような気がするんですが。
何を書けばいいのやら…みたいな感じがします。


とりあえず最近のまとめというか。
自分の気持ちの整理をかねて。
ちょっと書いてみるかな…。


かなりくらーい日記になりそうなので。
知らないよ。うんw



話は12月にまで戻るんですが。
この頃かな。
親父の肺に何かあるかもしれないから検査した方が良いよと言われたのは。


…で、実際検査するつもりでA病院に行ったんですが。
そこの医師と親父が合わなかったみたいで。
その後の入院検査とかをキャンセルしてしまったんですよね。


今考えるとここが最大のポイントだったんだよなーと思わざるをえないんだけど。


親父の性格上一度こうなるともうどうしようもなくて。
しぶしぶ諦めたというか…。
うやむやになっちゃったまま年を越すことになります。


それでもやっぱり検査をしたほうが良いかなって流れになって。
2月に違うB病院でもう一度検査をしてみようと。


また予約を取って後は行くだけ。


…だったんですが。
2月のとある日に。トイレに行こうとして行けなくなってしまった親父。
完全に動けなくなって。
もう一度ベットに戻そうかどうしようかと考えたんですが。
救急車を呼ぶことにしまして。


そのまま入院へ。(予約していた病院とは違うC病院に)


そして検査の結果分かったのは。


脳腫瘍があると。1センチくらいで大きくはなかったんですが。
転移性のものであると。


…それを聞いて。
いろいろと調べてみて。かなり落ち込みましたね。この頃は。


転移性のものということはどこかに元となる何かがあるわけで。
それはもう肺以外考えられないじゃないですか。
まだ詳しい検査をしていない状態でしたけど。
これはもう肺癌なのかなーって思うしかなかった。


…しかも。転移をしているということはもう肺癌のステージ?なわけです。
いわゆる末期がんってやつで。もう全治とか絶対しないやん…。


そう思うときつかった。
事実を知ったこともきつかったし。
それをどう伝えればいいかって考えるのもきつかった。


親父がそれを受け入れて頑張ってくれる性格ならば悩まず伝えるんですけど。
まず親父はガンとかなら自分には伝えるなと前々から言っていて。
実際ガンって知ったらどういう行動を起こすのか自分にもわからないくらいの性格だったので。


うーん…って思ったけど。


とりあえず脳腫瘍を何とかしないといけない話だったので。
ガンマナイフってやつをすることになりました。


放射線を1箇所に一気に打ちこむやり方らしく。
腫瘍の大きさが3センチくらいまでのものに効くやり方らしい。


それを実際にしたのが3月のはじめの事。
それ専用の病院みたいなのがあるみたいなので。
そこで2日ほどの入院。


こういう事やるよーって事で放射線とか言ってしまったので。
これはガンってわかっちゃったかなーと思ったんですが。


親父はガンだとはわかってなかったみたいですね。
普通は気付くだろって思うんですけど…。
それが良かったのか悪かったのかは自分にはわからないです。


なのでガンだという事はうやむやになったまま脳腫瘍の方はひとまず沈静化と。
実際ガンマナイフをするときには腫瘍は2.5センチくらいになってたそうです。


…大きくなるの早すぎですよね。
これは悪性なんだろうなって改めてこのとき思った。


それでも脳腫瘍の方はこれで大丈夫って話だったので。
これでしばらくはまた家で暮らせるかなって思ってました。


自分の中ではもう如何に長く家で自分の思うままの生活が出来るのかと。
それしか考えて無かったですね。だって治らないんだから。


…ガンマナイフが終わった後はまた違うD病院で入院する日々となりました。
簡単なリハビリをして。それで家に戻る。


…はずだったんですが。


今度は40度の高熱が出続ける状態になってしまいました。
肺癌が進んじゃったのかもしれないです。


クスリを飲めば熱は一時下がるんだけど薬が切れるとまた熱が出る。
3月中旬からはずっとそんな感じだったと思います。


1〜2ヶ月でいいから家にいる時間が欲しかったと思ってたんですけど。
その願いは叶わなかったってことだよなぁ。


3月に入院した病院ではもうどうすることも出来なかったので。
肺の治療が出来るような病院へ転院することになりました。


病院を点々としすぎな気もしますけど。


一旦退院したのが4月4日で。
そこから少しだけ家での生活がありました。


その肺の治療が出来るB病院に7日に行って。
そこで初めて親父はガンって知ったわけです。
最後のほうは隠してたわけではないんですが。親父が気付かないというか。
受け入れなかったというか。


ガンという単語を使わない以外はもう説明はガンそのものの説明だったし。
写真もそういう写真だったんですけどね。


ガンってはっきり言ったのがこの時だったという事かな。


そこで抗がん剤を使うかどうかの話が出まして。
かなり難しい2択でした。


抗がん剤を使うと副作用が怖いですからね。
それに使ったところで完治はしない。
もしかしたら生きる期間が延びるかなってくらいの効果。
ハイリスクローリターンって感じ。


…で抗がん剤を使わないとなるともう治療としてすることがない。
それだと治るって思い込んでいる親父が落ち込んでしまう。
モチベーションの問題ですね。


どっちをとるかって事なんですが。
個人的にはしない方がいいかなって思ってました。
絶対に治らないし。
副作用の方が怖かったからね。


むしろ最後はおとなしく少しでも長いこと家にいた方が自由なんじゃないかなって。
そう考えてました。


ただこの時点で親父はまだ治ると信じ込んでいたので。
そう思ってるなら抗がん剤を使用するって親父は選ぶに決まってる。


なので抗がん剤を使うって方向に話がまとまりました。
そうなるとまぁ入院なわけです。


それで病院に空きが無いのでそれが出来次第入院ということになりました。


もしかしたら家で過ごす最後の時間になるかもしれない。
そう思うとまともに顔が見られなくなるというか。
本当は普通に接しないといけないんですけど。
それすらもきつかったです。(泣きそうになっちゃうって意味で)


後はもう1日でも長く入院の日が先になればいいのにって考えてましたが。
12日に入院と決まって。


最後の数日はホント切なかったです。
こっちは家で過ごすのは最後かもしれないとか考えてるわけですが。
親父はただ治療に行くだけって感じですから。


最後かもって空気は当然出せないし。
でも親父が考えてるような結果は出ないだろうし…。


とにかく親父の気持ちを落ち込ませないように。
そして奇跡でも祈るだけって感じで家での日々は終わっていったかなー。


…で、12日の朝。入院の日。


自分は家で見送りってことになったんですが。
車に乗り込む親父の顔が見れないのね。
しっかりと見送らないといけないのに。それが全く出来なかった。


雨が降っていたので。
泣き顔を傘で隠すように見送りました。


最後にひょこっと親父がこっちを振り向いたのはわかったんですが。
それをきっちりと笑顔で見送れなかったって事は今でもちょっと心残りです。


結果的に最後となるB病院に入院してからの親父は日に日に弱っていきました。
そこに入院してから一気に食欲がなくなってしまったからだと思います。


3月は食欲はあったんですよ。
自分も夕食時には必ず行って無理やりでも食べる空気作ったしw
家でもそれなりに食事は取ってた。


でも何故かこの病院に入院してから一気に食べなくなって。
検査とかで食べれない時が続いたからかもしれないですね。
それまで食べていた習慣が途切れてしまったってのは大きかったのかもしれないです。
(普段の親父は主食は焼酎ですってくらい酒ばっかりだったからなー)


そんな状態で迎えた抗がん剤投与の日。
点滴みたいな感じで体にはいっていくんですね。
そういうの自分は知らなかったんだけど。


抗がん剤を投与した翌日はすごく親父の状態は良かったです。
久しぶりにクスリなしで熱もおさまって。


もしかしたら…とか思うには十分な1日だったと思います。


まぁ翌日からまた悪くなったんですが OTL


それでも病院としてはもうやる事が無いので。退院って話になって。
親父の状態はかなり悪いけど。
家に戻れるならアリかなって思ってその日を待ちました。


23日に退院って話になったので。その日に病院に行ったんですが。
それが体調が良くないからと26日に延びて。


仕方ないなーって事で車椅子に乗せてちょっと外に散歩っぽく。
その病院の周りってなんか何にもねーなーって場所で。


あまりたいした話はしなかったんだけど。
結果的にこれが親父とのまともな会話としては最後になってしまったわけで。


そうなるなんて親父も俺も思ってなかったから。
最後の会話って意識0でしたよ。うん。
そういうのがちょっとでもあればもっと長い時間はなしたのに…。


25日にまた顔を出して。
その時にはなんかおかしーなー。
今までとちょっと違うなって感じる状態になってました。


会話が成立しなくなってきて。目線が合わなくなってきて。
今まではそんなことなかったんですが。
なんか肺というよりは脳的に何かおかしい?


…でも明日退院だから。またちょっとだけでも家で過ごせるからと。
そんなことを行ってこの日は帰宅。


…そして26日。


退院って気持ちで病院に。


親父は起きない。いくら呼びかけても。
ただ寝息を立てて寝てるだけ。


これはおかしいだろという事で。
退院延期で脳スキャン。


…で夕方その写真を見まして。
なんというか。それ見たら潔く認めざるを得ない。
そんな写真でした。


脳の半分が脳梗塞で真っ白。
これは…もうどうしようもないなって思いました。
そこまで発見できなかったのかって話なんですが。


親父は5年前に脳溢血で倒れてて。
その時に右半身不随になってしまってたんですね。
今回の脳梗塞も主に右半身に影響が出るようなもので。
兆候がまったくわからなかった。


前日に目線があわないとか会話にならないとか。
それが兆候だったわけですが。
もうその時には…って感じだったんだろうな。


この時点で早ければ今日。遅くとも2〜3日の命と宣告されました。
どちらにせよ親父はもうしゃべらないし。起きないし。
ってか退院のつもりで来たのにあと数日とか。意味が分からなかった。


それでもそこからずっと母と病室で寝泊りしてました。
親父を見てもただ寝てるだけにしか見えないんですけどね。
ただ何をやっても起きない。見守るだけ。そして話しかけるだけ。
それが2日続いて。28日の夜。


最初は心拍数130くらいだったんですね。
それが2日で105くらいまで下がって。


それ以上にちょっと寝息が弱くなってきたかなって感じて。


それでもその状態がまた数時間続いたんですが。
いきなり心拍数が乱れて。


それから2分もたたないかな…。
あっという間にというか。
こっちに何かをさせるヒマもないというか。


そのまま他界しました。


あまりにもあっという間だったので。
不思議と泣くとかそういうのは無かったですね。
実感できてなかったのかな…。


その後はすぐに葬式関係の話に巻き込まれていくわけですが…。